石走る垂水の上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子
はや4月。多くの官庁や会社、学校では新年度、新体制、新学年の始まりの月だ。通勤電車の中には、新入社員とおぼしき若い人の姿も見られる。
春は新たなる出発に相応しい。それは、全てのものが生命を吹き返す、喜びにあふれた季節だからだ。万葉集に収められた志貴皇子の御歌は、わたくしなぞが言うまでもなく、春の喜びを詠んだ歌として名高い。
春の香りは、様々な思い出を呼び起こす。小学校卒業と中学校入学。高校入学。高校卒業後上京して、初めて見る東京。百科事典を調べて知ったネクタイの締め方・・・。この季節になると、必ず思い出す人生の節目の記憶だ。その記憶のどれもが、希望と期待を持って新たな境地に臨んだ喜びとともに思い出される。この春も、子供たちや若者が、学校で、職場で、喜びを持って新たな歩み進めることだろう。
しかし、春は悲しい季節でもある。
うらうらに照れる春日に雲雀あがり心悲しもひとりし思へば 大伴家持
春の悲しみは、今を盛りに輝く生命もいずれは滅びると知るからだろうか。
東京では、3月31日に桜が開花した。約1週間で満開になるそうだ。花は、いずれは散りゆくからこそ愛おしい。
昨年3月11日の大災害では、多くの人が死んだ。昨年のこの時期には、「たくさんの人が死んでも桜は咲くのだなあ。」と当たり前のことに感心した。そして、今年も花は咲く。被災地では、咲く花に亡き人の笑顔を重ね、散る花に世の無常を思う人も多いに違いない。
皇子が早蕨の芽吹に心を揺らし、家持が春の日の雲雀に悲しみを感じてから1300年。その対象は人それぞれ違っていても、今もなお春は喜びと悲しみの季節である。
平成24年4月2日記